最高裁判所大法廷 昭和42年(あ)1546号 判決 1970年11月25日
主文
原判決を破棄する。
本件を大阪高等裁判所に差し戻す
理由
弁護人前堀政幸の上告趣意のうち、憲法違反を主張する点について。
所論は、第一審判決の事実認定に用いられた被告人の司法警察員に対する供述調書(昭和四〇年一一月九日付警部補福島信義作成)中の被告人が妻貞子と共謀して本件拳銃および実包を所持した旨の自白は、刑訴法三一九条一項の「その他任意にされたものでない疑のある自白」にあたり、証拠とすることができないものであるのにかかわらず、右自白に任意性があるとした原判決の判断は、憲法三八条一、二項の解釈を誤り、憲法三一条にも違反するというのである。
よつて検討するに、原判決が認定した所論供述調書の作成経過は、次のとおりである。すなわち、当初伏見警察署での取調では、被告人の妻貞子は、自分の一存で本件拳銃等を買い受けかつ自宅に隠匿所持していたものである旨を供述し、被告人も、本件拳銃は妻貞子が勝手に買つたもので、自分はそんなものは返せといつておいた旨を述べ、両名共被告人の犯行を否認していたものであるところ、その後京都地方検察庁における取調において、検察官増田光雄は、まず被告人に対し、実際は貞子がそのような自供をしていないのにかかわらず、同人が本件犯行につき被告人と共謀したことを自供した旨を告げて被告人を説得したところ、被告人が共謀を認めるに至つたので、被告人を貞子と交替させ、貞子に対し、被告人が共謀を認めている旨を告げて説得すると、同人も共謀を認めたので直ちにその調書を取り、更に同人を被告人と交替させ、再度被告人に対し貞子も共謀を認めているがまちがいないかと確認したうえ、その調書を取り、被告人が勾留されている伏見警察署の警部補福島信義に対し、もう一度被告人を調べ直すよう指示し、同警部補が被告人を翌日取り調べた結果、所論主張の被告人の司法警察員に対する供述調書が作成されたというのである。
思うに、捜査手続といえども、憲法の保障下にある刑事手続の一環である以上刑訴法一条所定の精神に則り、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ適正に行なわれるべきものであることにかんがみれば、捜査官が被疑者を取り調べるにあたり偽計を用いて被疑者を錯誤に陥れ自白を獲得するような尋問方法を厳に避けるべきであることはいうまでもないところであるが、もしも偽計によつて被疑者が心理的強制を受け、その結果虚偽の自白が誘発されるおそれのある場合には、右の自白はその任意性に疑いがあるものとして、証拠能力を否定すべきであり、このような自白を証拠に採用することは、刑訴法三一九条一項の規定に違反し、ひいては憲法三八条二項にも違反するものといわなければならない。
これを本件についてみると、原判決が認定した前記事実のほかに、増田検察官が、被告人の取調にあたり、「奥さんは自供している。誰がみても奥さんが独断で買わん。参考人の供述もある。こんな事で二人共処罰される事はない。男らしく云うたらどうか。」と説得した事実のあることも記録上うかがわれ、すでに妻が自己の単独犯行であると述べている本件被疑事実につき、同検察官は被告人に対し、前示のような偽計を用いたうえ、もし被告人が共謀の点を認めれば被告人のみが処罰され妻は処罰を免れることがあるかも知れない旨を暗示した疑いがある。要するに、本件においては前記のような偽計によつて被疑者が心理的強制を受け、虚偽の自白が誘発されるおそれのある疑いが濃厚であり、もしそうであるとするならば、前記尋問によつて得られた被告人の検察官に対する自白およびその影響下に作成された司法警察員に対する自白調書は、いずれも任意性に疑いがあるものといわなければならない。
しかるに、原判決は、これらの点を検討することなく、たやすく、本件においては虚偽の自白を誘発するおそれのある事情が何ら認められないとして、被告人の前記各自白の任意性を認め、被告人の司法警察員に対する供述調書を証拠として被告人を有罪とした第一審判決を是認しているのであるから、審理不尽の違法があり、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものというべきものである。よつて、その余の上告論旨について判断するまでもなく、刑訴法四一一条一号により原判決を破棄し、さらに審理を尽くさせるため、同法四一三条本文により本件を原裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官松田二郎は、退官のため評議に関与しない。(石田和外 入江俊郎 長部謹吾 城戸芳彦 田中二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 松本正雄 飯村義美 村上朝一 関根小郷)(草鹿浅之介は、退官のため署名押印することができない。)
弁護人の上告趣意
原判決は、その判示した違法な証拠を適法な証拠であるとする法令の解釈において憲法第三十八条第一項第二項、同三十一条の各規定に違反しておるから破棄せらるべく、また証拠取調の手続並に採証の方法が法令に違反し、事実誤認の疑が顕著であるから、之を破棄しなければ著しく正義に反するのである。
一、原判決は「よつて記録及び当審における事実調べの結果を精査し案ずるに、原判決挙示の証拠によれば、原判示事実を優に認めることができる。……即ち……。以上の事実が認められる」「右認定の通り本件拳銃等は被告人とその妻貞子とが予め相談の上貞子において買受け、被告人の指示に基き貞子において隠匿保管し、以て被告人と貞子とが共謀の上所持していたものであり、本件拳銃等の買受けから所持に至る迄の被告人と貞子との共謀の点は、原判決挙示の被告人の司法警察員に対する供述調書における自白及びこれを裏付ける坂根一美の検察官に対する供述調書謄本によつて十分認められるのである」(傍点は弁護人が之を附した、以下でも同様である)と判示している。
つまり、原判決は第一審判決挙示の証拠によつて優に同判決が認定した犯罪事実を認めることができると言い、特に法理上被告人を有罪とする論拠となつている事実、即ち被告人及び弁護人によつて争われている事実であるところの原判示の「買受けから所持に至る迄の」妻貞子との共謀事実を認定できる証拠としては、
(イ) 被告人の司法警察員に対する供述調書(検甲第十号昭和四十年十一月九日附警部補福島信義作成)における自白と
(ロ) 坂根一美の検察官に対する供述調書(検甲第三号昭和四十年十一月十日附検事増田光雄作成)の謄本と
があることを判示している。
二、ところが、原判示の右一、の(イ)(ロ)の各証拠は刑事訴訟法上適法な証拠とは認められないのであり、その理由は控訴趣意において詳述したとおりであるから、茲に控訴趣意書謄本を添付援用する。原判決はその控訴趣意を斥け、第一審判決とともに右各証拠が適法な証拠であり、第一審裁判所が之を証拠として取調べ且第一審判決の判示犯罪事実認定の証拠としたことに何ら違法はないとした。
三、然し原判決が右控訴趣意を斥けた理由は到底納得できないのである。先づ被告人の司法警察員福島信義に対する供述調書(検甲第十号)につき論及する。
原判決は「同調書(右の検甲第十号供述調書を指す――弁護人の註)が作成されるに至つた経過をみるに、証人福島信義、同増田光雄の原審公判廷における各供述、証人西村伸一の当審公判廷における供述によれば、次の事実を認めることができる。即ち、被告人は昭和四〇年一一月一日午前中、伏見警察署で取調べを受けた際、本件犯行を否認していたが、同日午前一一時五分から午前一一時四五分にかけて被告人方で本件拳銃等の捜索差押がなされた(原判決挙示の司法警察員作成の捜索差押調書参照)後は、一応概括的に本件犯行を認める態度を取るに至つたが(当審で取調べた被告人の司法警察員に対する弁解録取書及び原判決挙示の被告人の司法巡査に対する供述調書参照)同月二日同警察署で再び取調べを受けるや、本件拳銃等は妻貞子が勝手に買つたもので被告人はそんなものは返せといつておいた旨述べて否認していた。同月三日身柄を京都地方検察庁に送致された後も一応概括的には本件犯行を認める態度をとつたが(当審で取調べた被告人の検察官に対する弁解録取書参照)、その後同月八日増田検事の取調べを受けた際に始めて本件犯行を詳細に自白し(原審で取調べた被告人の検察官に対する供述調書参照)、増田検事よりもう一度調べ直すよう連絡を受けて伏見警察署において福島警部補が被告人を取調べると、被告人は検察庁におけると同様事実を詳細に自白した。一方被告人の妻貞子も当初伏見警察署での取調べでは自分の一存で本件拳銃等を買受け、且自宅に隠匿所有していた旨供述して被告人との共謀関係を否認していたが(当審で取調べた岡山貞子の司法警察員に対する昭和四〇年一一月一日、同月二日付各供述調書参照、その後同年一一月八日増田検事の取調べを受けた際、始めて被告人との共謀関係を認め(原審で取調べた岡山貞子の検察官に対する供述調書参照)、引続き同月九日伏見警察署における福島警部補の取調べにおいても同様被告人との共謀関係を認めた(原審で刑事訴訟法第三二八条書面として取調べた岡山貞子の司法警察員に対する供述調書検甲第四号――弁護人の註)参照)。以上の事実が認められる」と判示している。
右判示中注目すべき点は次の三点である。
(イ) 被告人が判示の概括的に本件犯行を認める態度を取つたという事実は、何れの場合にも、所謂弁解録取書と、司法巡査西村伸一作成の供述調書における記載によつているのであるが、各弁解録取書での供述には具体的事実の供述は全くないのであり、西村伸一作成の供述調書(検甲第九号)での供述には一寸具体的なものが認められるが、それも実包に関する供述は全くないのであつて、右判示の通り被告人はその前後には本件犯行を否定しておるのである。
(ロ) 判示司法警察員に対する被告人供述調書(検甲第十号)は増田検事作成の供述調書(検甲第十一号)が作成された日(昭和四十年十一月八日)の翌日(同月九日)であり、而も検事に対する自白の供述調書が作成された後に実質的に相異するところのない、むしろその供述のくりかえし、焼き直しである供述調書がわざわざ司法警察員によつて作成せられていることは無駄なことであつて、普通のことではなく、明らかに何らかのためにする(違法な検察官作成調書の代替物として合法性を仮装するためであることは専門的知識を有するわれわれには十分看取される)ものであることが窺えるのであつて、単に原判示の如く「もう一度調べ直すよう連絡を受けた」からであるとして納得できるものではない。
(ハ) 判示「説得」という言葉は決して後述の取調方法について妥当な用語ではない。そこで犯行否認をくり返していた被告人が何故自白するに至つたか、何故検事が自白調書を作成しておきながら更に重ねて司法警察員をして自白調書を作成させたかの事情が問題となるのである。
ところが原判決は右判示に続けて「しかして、証人増田光雄、同岡山貞子の原審公判廷における各供述によれば、昭和四〇年一一月八日京都地方検察庁における増田検事の被告人及びその妻貞子に対する取調べの方法は次のようなものであつたことが認められる。即ち、右両名に対する増田検事の取調べは同日午前九時半頃より午前一二時頃迄の間に行われたが、増田検事が先ずそれ迄本件拳銃等の買受け及び所持につき貞子との共謀関係を否認してきた被告人に対し、実際は貞子が自供していないのにかかわらず、貞子が右共謀関係を自供した旨告げて説得したところ、まもなく被告人は右共謀関係を認めるに至つたので、被告人を貞子と交替させて、貞子に対し被告人が共謀を認めている旨告げて説得すると、貞子も被告人との共謀関係を認めたので直ちにその調書を取り、貞子を被告人と交替させて、被告人に対し再度、貞子も共謀を認めているが間違いないかと確認した上、その調書を取つたことが認められる」と判示している。
(い) 右判示の如き事実に即して考えると、第一審裁判所が証拠として取調をした増田検事作成の前示被告人供述調書(検甲第十一号)が刑事訴訟法第三一九条第一項に「その他任意にされたものでない疑のある自白」に該ること、同検事作成の原判示岡山貞子供述調書(検甲第五号)も共犯者の自白としては同様同条項に該ることは勿論、その取調状況から言つて同法第三二一条第一項第二号の要件を欠く供述に該ることはまことに明らかである。
(ろ) また原判示の取調経過によつて考えると、司法警察員作成の被告人供述調書(検甲第十号)及び岡山貞子供述調書(検甲第四号)が何れも同検事から、同検事に対し夫々共謀事実を自白したという事実を拠り所として、もう一度調べ直すよう指示された司法警察員が、右事実を拠り所にして自白を求めた事実を認めることができる。即ち、右各供述調書は、その実質において全く同検事作成の各供述調書の「焼き直し」の調書であつて、同検事の判示偽計による自白の影響をそのまま引継いでおることが認められる。
よつてかくの如き各供述調書がやはり同法第三一九条第一項に言う「その他任意にされたものでない疑のある自白」に該るものであることは明らかである。もしそうでないというのなら右各供述調書が増田検事作成の各供述調書からの、実質的には増田検事の判示偽計を用いた取調べの、影響を受けない情況の下に作成せられたことの証拠を示さなければならないのに、原判示によるもそのような証拠は示されていない。
そこで司法警察員作成の被告人供述調書はやはり同法第三一九条第一項により証拠とすることの許されないものであり、また同作成の岡山貞子供述調書はやはり同法第三二五条によつて証拠とすることのできないものである(刑事訴訟法第三二八条によつて取調べる場合でも、供述の任意性は保障せられていなければならないものと解する)。
(は) 然るに第一審裁判所は叙上の各供述調書を証拠として取調べ、その内司法警察員作成の被告人供述調書を採つて第一審判決判示の犯罪事実を認定する有力な証拠としたのであるから、同判決は採証手続上法令に違反しておるのである。ところが原判決は右法令違反を主張する控訴趣意を斥けて、右採証方法が法令に違反するものではないとした。
ところがその理由として判示するところを見ると、「前認定の検察官の取調べ方法(弁護人の所謂「切り違え」尋問)が一種の偽計を用いたものであることは明らかであり、偽計により被疑者を錯誤に陥れて自白を得るという方法は、犯罪捜査が公正を旨とし、個人の人権尊重の上に立つて行われなければならないという観点からみて決して望ましい方法ではなく、できる限り避けるべきものであることについては多言を要しない。しかし、刑事訴訟法第一条も明言しているとおり、人権尊重とともに公共の福祉の維持という要請のあることを忘れてはならない。即ち、個人の人権保障と公共の福祉の維持との調和をはかりつつ事案の真相を明らかにするということが肝要である。かかる見地に立つて考えるならば、偽計を用いた尋問方法は決して望ましいものではないにしても、単に偽計を用いたという理由のみでこれを違法視することはできない。けだし頑強に否認する被疑者に対しては事案の真相を明らかにするためかかる尋問方法を用いることもやむをえない場合があり、偽計を用いて被疑者を錯誤に陥れたとしてもそれによつて得られた自白は自白の動機に錯誤があるに止まり虚偽の自白を誘発する蓋然性は少いからである。換言すれば、偽計に虚偽の自白を誘発する蓋然性の大きい他の要素が加わつた場合にのみ、よつて得られた自自は任意性なきものとして排除されるべきである。ところで、本件において検察官が用いた弁護人の所謂切り違え尋問は被告人に対し、その妻が被告人との共犯関係を自白した旨虚偽の事実を告げて、被告人から自白を得た上、今度は被告人の妻に対し、被告人が共犯関係を自白した旨を告げて、被告人の妻から共犯関係の自白を得たというのであつて、成程偽計を用いたものではあるけれども、他に虚偽の自白を誘発する虞のある事情は何ら認められないから、右尋問により得られた被告人及びその妻貞子の自白は何れも任意性があるものと認められる。従つて、原審が被告人の右検察官調書を刑事訴訟法第三二二条第一項により、また岡山貞子の右検察官調書は岡山貞子が原審公判廷における証人尋問の際にこれと相反する証言をし、且右証言よりも信用すべき特別の情況の下になされたものと認めて同法第三二一条第一項第二号により、何れも採用取調べしたのは適法である。またこれに引続き伏見警察署において福島警部補に対してなされた被告人の自白も他に特段の事情の認められない以上、任意になされたものと認めるのが相当である。しかして、被告人の司法警察員に対する右供述調書は、原判決挙示の坂根一美の検察官に対する供述調書謄本及び証人岡山貞子の原審公廷における供述部分と対比検討すると、その信用性も十分に認められるのである。されば、原審が被告人の司法警察員に対する供述調書を採用取調べたことに何ら違法の廉はなく、また、原判決挙示の他の証拠と共に右供述調書及び坂根一美の検察官に対する供述調書謄本をも証拠として原判示事実を認定したことに何ら事実誤認はない」と判示した。
然し右判示は謬論であつて到底承服できない。
(1) 原判決は「偽計により被疑者を錯誤に陥れて自白を得る方法」は刑事訴訟法第一条に謂う「公共の福祉の維持」のためには違法視することはできないというけれども、憲法第三十八条第一項が「何人も自己に不利益な供述を強要されない」と宣言しているのは、自白が偽計による錯誤によつて追求されることを許容するものでないこと、そのような取調方法が原判示に言う「説得」に該るものでないことは、良識ある者の疑わないところである。然るに原判決が刑事訴訟法第一条の規定を論拠に個人の基本的人権の保障と公共福祉の維持との調和のためには偽計を用いて自白を追求する取調方法も許容されるのであつて、それを違法視できないとするのは同法条の解釈を誤り憲法第三十八条第一項の規定に違反するのである。
(2) また原判決が「頑強に否認する被疑者に対しては事案の真相を明らかにするためかかる尋問方法(弁譲人註・偽計を用いた取調方法、而して被疑者の取調について「尋問方法」という法律用語を用いるのは適法な用語ではない)を用いることもやむを得ない場合があり」、本件の場合がそれであるとするのは暴論と言うべきである。何故なら被告人夫妻が自己にかけられた被疑事実について否定すること(岡山貞子については被告人との共謀事実についてのみ否定)が直ちに真実を頑強に否認することであるとすることはできないからである。
原判示のような判断を以てするならば、容疑事実を否定して争うている被疑者は総て真実犯人であるのに犯罪事実を否認しておるものであるとする予断偏見が先行しておることが明らかであり、それは不法な考え方である。捜査を完うして初めて犯人であることが認定せられなければならないのに、捜査の途中容疑事実を肯認しないと、それは頑強に否認しておる者とせられ、それ故にその者に対しては、たとえ偽計を用いた取調方法を施しても合法だということになる。こんなことでは憲法第三十一条第一項が刑事事件につき所謂合法手続を保障しておる根本精神に背馳し一般国民の基本的人権は無視されてしまうことになる。
(3) また原判決は原判示取調方法が違法でないとする理由として「偽計を用いて被疑者を錯誤に陥れたとしてもそれによつて得られた自白の動機に錯誤があるに止まり虚偽の自白を誘発する蓋然性は少いからである」と判示しているが、これは妄断も甚しいとしなければならない。このような論法をとる原裁判所は果して公正な裁判所であつたかとさえ疑われるのである。
一体「錯誤」が「自白の動機」にかかわるものであるときには「虚偽の自白を誘発する蓋然性が少い」などとはどうして言えるのだろうか。そもそも自白は供述者のいろいろの心情から発する心性的なものであつて、所謂物的証拠――証拠物の存在――とは事が違うのである。憲法第三十八条第二項の規定が強制、拷問、脅迫による自白、不当長期拘禁後の自白を証拠とすることを禁止しておるのは、それらの事実が供述者の心情に不当な心性的影響を及ぼし、その不当な心性的影響が供述者をして自白――それが虚偽のものであれ真実のものであれ――をするような心情に陥らしめること、つまり供述者の自白の動機を造成するに至ることが明らかであるからであつて、その自白が真実に合するか否かは問うところではないのである。
従つて憲法第三十八条第二項が列挙していないような方法又は事情に限らず、刑事訴訟法第三一九条第一項の規定が明言している「その他任意にされたものでない疑」のある自白を生む動機を誘発造成することが経験則上一般に認められる一切の方法――本件の原判示偽計を用いた取調方法は正に之に該る――が違法とせられなければならないことはまことに明らかである。
ところが原判決は、右のような妄断の下に更に「偽計は虚偽の自白を誘発する蓋然性の大きい他の要素が加つた場合にのみ、よつて得られた自白は任意性なきものとして排除せらるべきものである」と判示し、本件においては「成程偽計を用いたものではあるけれども他に虚偽の自白を誘発する虞のある事情は何ら認められないから、右尋問により得られた被告人及びその妻貞子の自白は何れも任意性があるものと認められる」と判示しているのである。然しかくの如き判断はまことに「おめでたい」判断であつて、「虚偽の自白を誘発する蓋然性の大きい他の要素」なるものが一体何であるかは吾人の理解しがたいところであるのみならず、自白の動機の錯誤、平たく言えばだましに、何らかの他の要素が加わらなければ虚偽の自白が生じないとする論断は全く妄断であると言うべきである。ところが、実はここでの問題は偽計を用いて得られた自白であるか否かの問題ではなかつたのであり、問題はそのような方法で得られた自白が「任意にされたものでない疑のある」ものであるとせらるべきかどうかであつたのである。かくて原判決は問題をすり替えておることが明らかであるから、これ以上議論を進める必要はあるまい。
(4) 唯言つておきたいことは、原判決の言うようなことが是認されるならば、憲法第三十一条の定める所謂合法手続によつてのみ国民が刑罰を科せられるという保障は消えてしまうということである。即ち、原判決によれば、被告人を偽計によつて錯誤に陥れその錯誤の故に自白するに至つた事実を認めながらそれでもその自白が適法な証拠であり、それを有罪の証拠とすることができるというのであるから、これではもはや被告人は法律に定める手続で証拠とせられたものではない証拠によつて有罪とせられ刑罰を科せられることとなつたわけであつて、このような原判決の法令の解釈が憲法第三十一条の規定に違反することが明らかである。
四、次に原判決が、検察官作成の坂根一美の供述調書(検甲第三号)を証拠として取調べたこと、そしてそれを第一審判決の判示犯罪事実を認定する証拠として採つたことが法令違反であるとする控訴趣旨を斥けたことも亦訴訟手続の法令違反を看過した違法がある。右控訴趣意は添付の控訴趣意書のとおりであるから、これを茲に援用する。
(1) そこで原判決の右の控訴趣意を斥けた理由を見ると、「先ず坂根一美の検察官増田光雄に対する供述調書謄本について考えるに、坂根は右検察官調書において、昭和三八年一〇月頃被告人方に行き、被告人の妻貞子に合つて拳銃の話を持出すと、貞子は『そんなら一度うちの人とも相談しておくから一返拳銃を持つてきてくれ』と言つた旨明確な供述をしているが、原審公判廷における証人尋問の際には、被告人の妻貞子と合つた際、貞子は相談しておくといつていたが、誰に相談するといつていたか覚えがない旨あいまいな供述をしているのであるから、右証言は検察官の面前における前記供述と実質的に異つた供述であると認められる。しかして、証人坂根一美は原審公判廷において、増田検事の取調べを受けた際述べたことは間違いない旨供述し、証人増田光雄も原審公判廷において、坂根の取調べが極めて円滑になされた旨供述していることに徴すると、増田検事の坂根に対する取調べの際、前堀弁護人主張のような誘導、押しつけがなされたという事情は何ら認められないから、坂根の検察官に対する供述は、坂根の原審公判廷における証言よりも信用すべき特別の情況の下になされたものと認めることができる。されば原審が坂根一美の検察官に対する供述調書謄本を刑事訴訟法第三二一条第一項二号書面として採用取調べしたのは適法であり、またその信用性も十分に認められる」と判示している。
(2) 然し既に三において詳論した通り、違法なものであることの明らかな、検察官作成の被告人及び岡山貞子の各供述調書が作成されたのが昭和四十年十一月八日であつて、原判示の証拠である被告人及び岡山貞子の司法警察員福島信義に対する各供述調書(検甲第十号、検甲第四号)が作成されたのは、その翌日である同月九日であること、また原判示の証拠である坂根一美の検事増田光雄に対する供述調書(検甲第三号)が作成されたのが同月十日であつたことは、証拠上明らかであり、之を否定するに足る証拠はないから、右作成日時からその捜査経過を知ることができ、よつてその捜査経過をたどつて観るだけでも、
(イ) 右の原判示被告人の司法警察員に対する供述調書(検甲第十号)及び前示岡山貞子の司法警察員に対する供述調書(検甲第四号)が前述の検事増田光雄の詐術又は偽計によつてなされた自白の影響を受けたその延長又は同一物と認められることが分り
(ロ) 原判示の坂根一美の検事増田光雄に対する供述調書(検甲第三号)が岡山貞子の同検事に対する供述調書(検甲第五号)から誘き出され得るものであつて、外見上前示の被告人の司法警察員に対する供述調書(検甲第十号)を裏付けるように見えるけれどもそれをそのように見るのは皮相の見解であつて、検事増田光雄が被告人夫妻を自白させるのに詐術、偽計を用いた事実に鑑み、また同供述調書の記載には夫れ自体矛盾があつて、――坂根一美は岡山貞子の許へ本件拳銃等を持参して売込みの交渉を行つた旨の供述記載に続けて、同女が主人に相談しておくから一度その拳銃等を持つて来て見せて貰いたい旨答えた旨の供述記載が行われている――坂根が自由且公正に取調べを受けていたのであれば、こんな矛盾した供述を行うわけがないし真面目に読み聞かせが行われていたのであれば、同検事は勿論供述者自身もこの矛盾に気づくはずのものであることなどを併せ考えると、同検事が岡山貞子の自白に符合するよう一方的に坂根一美を誘導してその場限りのいい加減な供述記載を押しつけたものと疑われるから、少くとも坂根一美の検察官に対する供述調書(検甲第三号)が刑事訴訟法第三二一条第一項第二号の要件を欠き証拠とすることのできないものであることが分るのである。
(3) 若し原判決が、右の違法を疑わしめるものがないと言わんとするのであれば、原裁判所は須く原審弁護人の請求した証人坂根一美の尋問を許容し、以て、
(い) 坂根一美は被告人らよりも先に本件拳銃並に実包に関し被疑者として勾留取調を受けていたのに、何故昭和四十年十一月十日以前に司法警察員や検察官の取調に対し右検甲第三号の供述調書と同じ内容の供述をするに至つていなかつたのか、
(ろ) それとも同人がそれ以前の取調に対し本件拳銃等の売込に際し岡山貞子が被告人と相談する旨述べた旨の供述をしていたのかどうか、
(は) 前示検甲第三号の供述調書中の坂根一美の供述記載自体において前示の如き矛盾不合理が現われておるのは何故か、などの点を明確にした上で判断を行うべきであつた。然るに原判決は唯証人「坂根一美は原審公判廷において増田検事の取調を受けた際述べたことは間違いない旨供述し」「証人増田光雄も原審公判廷において坂根の取調べが極めて円滑になされた旨供述している」ことに徴し、誘導、押しつけがなされたという事情は認められないから、刑事訴訟法第三二一条第一項第二号の所謂特信情況が認められると判示したに止まるのである。
(4) 然し増田検事が被告人及び岡山貞子の取調べに際し、判示偽計を用いた事実が明らかであるから、同検事の前示証言はたやすく信用できるものでないことは明かであるのみでなく、証人坂根一美の前示証言では同検事の取調情況については一言も証言していないし、またその供述記載自体の矛盾不合理についても少しも解明を与えていないのであるから、原判決の前示判断は早計と言わねばならない。
されば原判決の前示判断は審理不尽の故に任意になされたものでない疑、特に信用すべき情況の下に供述されたものでない疑が合理的に存在する前示坂根一美の供述調書について、右各疑を解消しないままに判断を下したものであつて、結局理由不備のまま右供述調書につき違法な証拠調をなし、且之を犯罪事実の認定の証拠に採つた第一審判決の違法を看過したものである。
五、そこで、原判決が前示三及び四で述べた違法な証拠調と違法な採証を是認したことの法令違反は、これらを総合して原判決の事実認定――それは第一審判決の事実認定を是認した認定――に重大なる影響を及ぼしたことが明らかであり、延いて事実誤認の疑が顕著であるから、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するのである。 以上